テスラの“芸風”再び
2023年5月12日、テスラは同社の市販車中、モデルSとモデルXの右ハンドル仕様の生産終了を発表した。これは生産終了日を明らかにした上での事前アナウンスではなく、発表の時点で既に生産終了済みというある意味唐突なものだった。
【画像】日本大丈夫? これが世界の「EV販売数」です(計10枚)
この発表と同時に、既に右ハンドル仕様の各モデルをオーダー済みだった顧客に対しても、右ハンドル車は納車できない旨が伝えられたといわれている。
テスラ側はこの措置に対して、希望者には左ハンドル車での慣熟試乗会を用意する。また、3年間のスーパーチャージャー(テスラ専用の急速充電器)無料利用権を付加するなどの特別優遇策を追加で発表した。
しかしこうした優遇策が功を奏することはなく、右ハンドル仕様の納車を待っていた顧客の多くがキャンセルを選択しているという話も伝わって来ている。
テスラという会社は何をするにしても予告なしで唐突というのは、もはや自他ともに認める“芸風”に近い。
これまでも予告なしの価格変更などに驚かされた購入予定者は多かったはずである。しかし、予告なしでの右ハンドル車の生産終了というのはいかにも乱暴だ。なぜテスラはこうした措置を行ったのだろうか。
右ハンドル車廃止の理由
主要11か国と北欧3か国の合計販売台数と電気自動車(BEV/PHV/FCV)およびHVシェアの推移(画像:マークラインズ)
テスラの公式発表によれば、右ハンドル車廃止の理由は、シンプルに
「コスト高」
本来は左ハンドルで設計されたものを右ハンドルへと変更するには、設計や部品の手配に加えて、完成した車両の保管や配送にも特別の流通経路が必要となる。
すなわち、右ハンドル車の販売で得られる利益が、製造その他で掛かったコストに見合わないということだ。これは、クルマが右側通行の左ハンドル車に対して、左側通行で右ハンドル車が提供されていた地域が少なかったことも影響しているだろう。
現在、クルマが右側通行の地域に対して左側通行の地域は圧倒的に少数派である。日本のほかには
・英国
・オーストラリア
・ニュージーランド
・香港
・マカオ
などが挙げられる。そのほか、東南アジアやアフリカにも左側通行の地域はあるが、絶対数は右側通行の方が多い。
これらの地域のなかで最も大きな影響を受けるのは、左ハンドル車の販売が法的に不可能なオーストラリア、ニュージーランド、香港、マカオとなる。テスラはこれらの地域でのモデルSとモデルXの販売を必然的に中止するということだ。
根本的な販売戦略変更の可能性
とはいえ、オーストラリアとニュージーランド、ともにテスラはその販売台数を伸ばしているといわれている。すなわち市場的には極めて重要な地域であることは間違いない。そんな市場に対して、
「マイナスでしかない施策」
を何の考えもなしに取ることは考え難い。
一方、日本や英国では左ハンドル車の販売が禁止されているわけではない。日本に限っていえば左ハンドルであることも大きな問題ではないだろう。それに対して英国では左ハンドル車に対して違和感を覚える人が大多数である。その結果がキャンセルの殺到だったというわけである。
製造や物流上の問題という理由は、取りあえず筋は通っている。しかし筆者(剱持貴裕、自動車ジャーナリスト)にはほかにもっと大きな理由がある様にも思える。それはテスラの
「根本的な販売戦略の変更」
だ。モデルSとモデルXがデビューしたのはそれぞれ2012年と2015年である。ともに地道な改良を加えつつ現在に至っているが、昨今の急激なEV進化を前に既に旧式化しつつあることは否めない。
ちなみに、それぞれ右ハンドルモデルが英国での販売を開始したのは、左ハンドルモデルが発売された1年後の2013年と2016年からのこと。2021年までの販売台数は前者が1万1000台、後者が6500台とそれほど多くはない。
特に2017年にモデル3が、続いて2020年にモデルYが登場してからは、英国での販売はこの新しいコンパクトサイズの2モデルに集約されている。その台数は発売開始から現在までそれぞれ約9万台と約8万台とまさに圧倒的な数字だ。
テスラ躍進の背景
モデル3(画像:テスラ)
しかし市場が拡大するにつれて、新たなユーザーはよりリーズナブルな価格で購入しやすいモデルを要求することとなる。そこで投入されたのがコンパクトサイズのモデル3とモデルYだった。
テスラが世界的にその販売台数を大幅に拡大する原動力となったのは、まさにこの2モデルであることに異論を挟む余地はない。
そして、ここのところ一部で目撃情報などもささやかれている次期モデルは、いずれもモデル3とモデルYの延長線上にあるコンパクトサイズである。
もちろんモデル3とモデルYについては、右ハンドルモデルの生産を中止するなどといった決定は一切なされていない。
中古モデルS・モデルXの価値どうなる
テスラCEOのイーロン・マスク(画像:AFP=時事)
ここまでの状況でわかること。それはテスラ自身が既にフラッグシップ的モデルの生産自体を
「終了する準備」
に入っているのではないかということだ。
そもそもモデルSは既に生産開始から10年以上。モデルXも2年後には10年を迎える。生産終了まで至らなくとも、大幅縮小もまたやむなしと判断するには妥当な年月である。
リーズナブルなコンパクトモデルをメインにその世界的なシェアを拡大していく。それこそがテスラの新しい戦略ではないのか。同時に市場での役割を終えたモデルにおける右ハンドル車の生産終了。これらはまさしく新たな戦略の第1歩ではないかと考えるゆえんだ。
そのほか、気になることといえばモデルSとモデルXの中古車市場での査定である。既に英国内では何らかの影響は必至といわれている。
ちなみに、テスラの中古車価格は新車の価格引き下げとともに低下傾向にあったのだが、今回の決定で右ハンドル中古車の価格が上昇しないとも限らない。この先、どう変わって行くのかその推移を見守りたい。