スバルの挑戦
過去、日本の自動車文化において、その商品ラインアップに大きな動きがあった出来事がいくつかあった。
【画像】くぅぅぅ……カッコいい! 「アルシオーネSVX」の画像を見る(計11枚)
最初は1960年代のモータリゼーションの到来とともに訪れたマイカーブーム。そして、その後に巻き起こった1980年代末から1990年代初めに掛けてのバブル経済は、日本車における数々の名車や“迷車”を生む大きな動機となった。1991(平成3)年9月に発売されたスバル・アルシオーネSVXもまた、そんな時代に登場したバブルの申し子的な1台だった。
1980年代のスバルは正直迷走していたことは否めない。この当時のメインモデルはレオーネ。日本車のなかでは早い時期から4WDを通じてオンロードでの全天候性能をアピールしていたユニークかつ実直な存在だった。
しかしその実直さとは裏腹に、市場での人気は今ひとつだった。理由は
「外観の地味さ」
アルシオーネが販売されていた時期の後半は、まさしくバブル時代と交差していたのにも拘わらず市場での人気が高まることなく、コアなスバルファンのみに支持されるに止まったのである。
レオーネの不振に加えてアルシオーネの失敗。その結果、スバルは深刻な販売不振に直面していたわけだが、1989年に投入したレオーネの後継車であったレガシィが望外のヒット作となる。これを好機と捉えたスバルは、アルシオーネのフルモデルチェンジを決心。それがアルシオーネSVXだったというわけである。
大胆デザインと価格の壁
バブルのイメージ(画像:写真AC)
アルシオーネSVXのコンセプトは、アルシオーネを引き継いだプレミアム性の高いクーペだった。
バブル真っ盛りでの開発だったこともあり、アルシオーネとは比較にならないレベルで開発費が投入されていた。イタリアのデザイン開発会社・イタルデザインによるスタイルは極めて流麗。特にガラス面積が極めて大きい航空機のキャノピーのようなルーフは、それまでの日本車では見られなかったものだった。ある意味ショーモデルがそのまま市販されたような現実離れ感があった。
スバル・アルシオーネSVXは発売と同時に大きな注目を集めた。特にそのスタイリングに対する評価は高く、今までスバルの量産車とは一線を画する存在として、スバルブランドのイメージアップに大きく貢献した。折しも前述したとおり、レガシィがヒットしていたこともよい後押しになったといってよいだろう。
しかし、アルシオーネSVXには“運”がなかった。デビューして間もなくバブルは崩壊。バブル全盛期であれば“その場のノリ”で購入してくれたかもしれない層がいなくなってしまったのである。
悪いことにバブルのノリで企画されたアルシオーネSVXは設定された販売価格も高価だった。その価格は最もベーシックな仕様で312万円。最上級グレードは439万4000円というもの。これらの価格帯は同時代の人気2ドアクーペだったトヨタ・スープラに匹敵していた。
トヨタの人気車と同価格帯のスバル車。それが市場でどう評価されるかは、客観的に見れば明らかだった。物珍しさで注目してくれた層こそ少なくなかったものの、実際に購入にまで踏み切ったのはスバルのコアなマニア。そのなかでもさらにコアな存在だった富裕層だったのである。
時代錯誤の逸品
1990年代のイメージ(画像:写真AC)
ただし、アルシオーネSVXが最大の身上としていた高速GTというキャラクターとそれを裏打ちした確かな性能は、海外で日本以上に高く評価されることとなる。
スバルSVXとしての海外での通算販売台数は2万台弱。もともとスバルの全天候性能に注目していた層におけるプレミアムモデルという新たなキャラクターは“それなりに実を結んだ”ということである。
ここからはあくまで仮定の話だが、もしもアルシオーネSVXがバブル崩壊直前ではなくバブル全盛期、もしくはバブル直前に市場に投入されていたらどうなっていたのか。その完成度の高さから、
「全天候高速GT」
としてアウディ・スポーツクワトロなどにも匹敵する名声を得た可能性もあったといったら夢を見すぎだろうか。
どのようなクルマでもそうなのだが、発売された時点での国の経済状況と市場の高揚感と成熟度は極めて重要である。ある意味、クルマ本体の完成度よりも重要だといってよいかもしれない。
スバル・アルシオーネSVXは“産まれる時代”を間違えた。しかしそうした市場との関連も、誕生から四半世紀が過ぎてしまえば無関係である。アルシオーネSVXの存在は、会社の熱量がピークに達していた時代のスバルが産んだ名車にほかならない。令和の今、さりげなくこのクルマに乗っていたらかなりカッコよいと心から思える1台である。