1989年の第28回東京モーターショーに参考出品としてお披露目されたフィガロ(写真:日産自動車)
日産自動車が1990年代に生産販売したコンパクトなパーソナルカー「フィガロ」と言えば、少し前までテレビ朝日のドラマ「相棒」で活躍し、現在はTBSテレビ「バナナマンのせっかくグルメ!!」で旅の相棒として登場している。
【写真】「東京ヌーベルバーグ」のキャッチコピーも1990年代らしさを感じるフィガロ
バナナマンの番組では、鮮やかなレモンイエローとホワイトルーフの2トーンカラーに塗られたフィガロが、日村勇紀さんの運転で快調に走り続けている。クルマにくわしくない人は、これが30年以上も前に作られた国産車だとは思っていないかもしれない。
でも、昔からのクルマ好きであれば、バブル景気のころ、日産が次々に送り出した「パイクカー」シリーズの1台であることを知っているだろう。
20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。
パイクカーの中でも別格の仕立て
日産のパイクカーには、フィガロ以外に「Be-1」「パオ」「エスカルゴ」があった。このうちエスカルゴだけは商用車で、ベースは当時の「サニー」だったが、残る3車種はいずれも、初代「マーチ」のプラットフォームやパワーユニットを使った乗用車だった。
Be-1が登場したとき、筆者はすでに自動車メディアで仕事をしていた。Be-1については、生産を担当していた高田工業の工場見学に行った記憶もある。なので、すべて新車として触れたことがあるけれど、フィガロはその中でも別格に感じた。
そう思わせた最大の理由は、ボディ形状がセダンやハッチバックではなく、コンバーチブルだったことだ。
フィガロはレトロ調デザインでまとめられたスペシャリティ的な位置づけ(写真:日産自動車)
Be-1とパオはいずれも2ボックスで、Be-1は独立したトランクを備えた2ドアセダン、パオは上下2分割のリアゲートを備えた3ドアだった。対するフィガロは、現在の市販車ではダイハツ「コペン」に近い3ボックスのフォルムで、小さめのキャビンともども、パーソナルカーらしさを強調していた。
屋根は、ルーフからリヤウインドウまでをソフトトップとして折り畳めるようにしたもので、Be-1とパオに用意されていたキャンバストップを、リヤウインドウ部分まで伸ばしたような成り立ちだが、2車種のキャンバストップが電動だったのに対し、フィガロのトップは構造が複雑なためか手動だった。
開けるときには、運転席足元のスイッチでトップを収めるトノカバーを開け、ソフトトップ前端のロックを外したあと、車外に降りてトップを畳んで格納、ベルトで固定してトノカバーを閉めるという手順だった。
キャンバストップの操作としては面倒なものだが、この手間が逆にスポーツカーのような特別なクルマだと感じさせたのも事実である。
リヤウインドウがガラスで折り曲げることができないこともあり、トップの格納部分は前後に長い。そのためキャビンは、後席が狭い「2+2」。
トランクはリヤのナンバープレート周辺だけが開口部で、内部はスペアタイヤが陣取っていたこともあり、荷物スペースはほとんどなかった。良い方向に捉えれば、この点もスポーツカー的だった。
ボディカラーはライトグリーン、ライトブルー、グレー、ベージュの4色で、いずれも今風に言えばアースカラーと呼べる、淡い色調だった。つまり、相棒やバナナマンの番組に出てくるブラックやイエローはオリジナルではない。
いずれのカラーでもルーフはホワイトで、インテリアもアイボリーで統一されていた。
デザインはレトロだが、ATやパワーウインドウなどを備える。当時、高級アイテムだったCDプレーヤーはオプション(写真:日産自動車)
しかも、メーターの文字盤はアンティークウォッチ風でスイッチの一部はトグルタイプ、シートは本革張りとするなど、カジュアルテイストだったBe-1やパオとは一線を画しており、パイクカーの中でも特別な仕立てだった。
パイクカーで唯一のターボエンジン搭載
メカニズムでそれまでのパイクカーと違っていたのは、1.0リッター直列4気筒エンジンにターボが装着されていたことだ。ここからも格の違いが伝わってきた。
ベースとなった初代マーチには、1.0リッター自然吸気の、ターボも用意されていた。また、ラリーに出場するため、排気量を930ccに縮小する代わりにターボとスーパーチャージャーを装着したツインチャージャーの「R」および「スーパーターボ」もあった。
パイクカー第2弾であるパオは1989年の発売。フィガロと異なり4人がしっかり乗れるハッチバックスタイル(写真:日産自動車)
価格は187万円。当時のマーチ・ターボが約110万円、パオのキャンバストップが約150万円だったことを考えても高価だった。でもBe-1から始まったパイクカーの人気はこのころも健在で、当初8000台限定の予定だった生産台数は2万台に増やされ、3回の抽選でオーナーが決まった。
きっかけはエリック・クラプトン
フィガロで特筆すべきことの1つに、海外での人気がある。とりわけ日本と同じ左側通行・右ハンドルの英国にはファンが多く、日産によれば2万台作られたうちの3000台が棲息しているとのことで、オーナーズクラブやパーツショップもある。
クラブのオフィシャルサイトを覗くと、2023年も10回以上のミーティングを行ったようで、今も活動はアクティブだ。パーツショップには外装や内装だけでなく、エンジンやサスペンションの部品も揃っている。
フィガロのインテリア。「2+2」で後席スペースが最小限であることがわかる(写真:日産自動車)
日本は、世界的に見ても古いクルマのパーツ供給が乏しい国の1つだ。そのため、この国で生まれた多くのヒストリックカーが、維持に苦労している。一方の英国は正反対で、名の通ったスポーツカーであれば、1台まるごと製作できるだけのパーツが手に入るという話も聞くほど。
よってフィガロの場合も、我が国にパーツがなければ英国から取り寄せるという手もあり、実行に移している日本のオーナーもいるようだ。
英国でフィガロが注目されるようになったきっかけは、エリック・クラプトンだと言われる。
ツアーで来日中に偶然フィガロを目にして気に入り、買って帰ってロンドンで乗り回していたところメディアに取り上げられ、話題になっていったのだという。
エンスーの国でここまで支持されているクルマのエッセンスを、使わないのはもったいない。そう思うのは筆者だけだろうか。日産とアライアンスを組むルノーは、「5(サンク)」や「トゥインゴ」を電気自動車として復活させようとしている。同じプラットフォームを活用してフィガロを甦らせることは可能なはずだ。