レースの好成績が市場評価に
日本で生まれ、海を渡ったアメリカの地で活躍したレースカーというと、何といっても「チームBRE」の「ダッツン」(日本での読みは「ダットサン」)がよく知られた存在である。その初期にはSRL311(フェアレディ2000)、そしてその後継というべきHLS30(フェアレディZ)、そしてPL510(ブルーバード)。いずれもSCCA(スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ)が主催するプロダクション&セダンレースにおいて、一つの時代をつくった名車たちだった。
【画像】最強の日本車「BRE ダッツン240Z」(5枚)
BREことブロック・レーシング・エンタープライゼスは、1966年にカーデザイナーのピート・ブロックによって設立された。BREはその戦略として、当時はまだ市場での評価が決して高くはなかった日本車をベースに、レーシングビジネスを展開することを決定していた。これは、BREの創設スタッフだったロバート・ダンハムと日本側との間に深いパイプがあったことも理由である。
ここでは、既にアメリカ国内でもリーズナブルかつパフォーマンスに優れたスポーツカーとして人気が高まりつつあったSPL311ことフェアレディ1600を、北米日産のスポンサードと共にSCCA プロダクションに送り込んだ。当時のSCCAプロダクションこそは、北米におけるスポーツカー販売において極めて大きな影響力を持っていたカテゴリーであり、ここで好成績を収め、その名声を高めることは、すなわち市販車の販売成績が向上することを意味していた。
20台の240Z、上陸
BRE240Z(画像:守山進)
1970年1月、カリフォルニア州のBREの元に、日本側から20台の新車の240Zが送られてきた。ここからの課題は、シーズン開幕までに戦闘力の高いレースカーに仕上げることである。しかしSCCAプロダクションというカテゴリーはその名の通り、市販状態からのモディファイが厳しく制限されており、事実上、メーカー純正装着されていたもの以外は、主として安全性と耐久性を向上させるためのパーツ交換やモディファイしか認められていなかった。
もちろんこうしたことは最初から分かっていたことであり、だからこそ既に旧式化していたSRL311に対して、完全新設計ゆえにそのパフォーマンスアップが大いに期待できたHLS30こと240Zであれば、レースカーとしての性能が向上することはまず間違いなかった。
ここで当時のSCCAプロダクションレースについてもう少し詳しく説明しておこう。SCCAプロダクションの最大の特徴は「ほぼ同レベルの動力性能」と思われる、年代もエンジンのキャパシティーも異なるさまざまなスポーツカーが熱戦を繰り広げていたということである。
2年連続ナショナルチャンピオン獲得
BRE240Z。1970年代初め、北米におけるSCCAプロダクションレースで最強の座をほしいままにした(画像:守山進)
1970年、チームBREの240Zは、エースドライバーだったジョン・モートンのドライビングと共にシーズン開幕を迎えた。ちなみに西海岸をメインに活動していたBREに加えて、北米日産は東海岸における日産系有力チームだったボブ・シャープ・レーシングにも車両を供給することを決定。ここにはBREが開発したレースカーと基本的に同じ仕様のモデルが送り込まれることとなった。
ここからCプロダクションにおける240Zの快進撃が始まることとなる。地元を中心としたリージョン戦の中でも、ナショナルチャンピオンシップが同時に懸かっていた一戦をメインに戦ったBREのレースカーは、そのまま地区チャンピオンに難なく輝き、ナショナルチャンピオンを決める最終決勝戦でもあったARRCにおいても見事勝利。参戦初年度からナショナルチャンピオンに輝いたのである。
この好成績は翌年も揺るぐことはなく、1971年もまた、ナショナルチャンピオンはジョン・モートンとBRE240Zのものとなった。ちなみにBREによる1970/1971年の2年連続ナショナルチャンピオン獲得のみが有名だが、実は続く1972/1973年には、先述した日産系のボブ・シャープ・レーシングがナショナルチャンピオンを獲得している。さらにこのカテゴリーにおけるZの連覇は、チームこそ異なれ、実に1979年まで10連覇に達した。
この間のエピソードとしては、BREとしては最初の時点でDOHCエンジンを搭載したZ432での参戦を望んだものの、北米での販売予定がなかったことから、それはかなわなかったということが挙げられる。
またBREは、1971/1972年と今度はSCCAトランザム2.5チャレンジにPL510を送り込み、こちらでもジョン・モートンのドライビングと共に、2年連続チャンピオンという好成績を残すこととなる。BREダッツンとジョン・モートン、それは1970年代初めに記録された最強の日本車と、それを華麗に操った男の記録に他ならない。