S14シルビア前期型(上)とS13シルビアを見比べると、ボディサイズの違い以上にデザインのシャープさが違う(写真:日産自動車ニュースルーム)
20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく連載第2回。
大きくボテッとしたデザインで不評だったS14
1980年代の日産車を代表する1台が、5代目「シルビア」。いわゆるS13型だ。1989~1993年に累計30万台以上を売る大ヒット車になった。では、1993年に登場した6代目「S14シルビア」はというと、累計10万台にも満たず、一転して販売で苦戦していたことを思い出す。
【写真】大人気だったS13、パッとしなかったS14、再びシャープになったS15を総まくり
いまの目からすると、スポーティでエレガントなクーペに仕上がっていたS14シルビア。
当時の日産自動車のプレスリリースでは「スタイリッシュスポーツクーペ」と定義されていた。
パワフルな4気筒エンジン搭載の後輪駆動の比較的コンパクトなクーペという成り立ちは、大ヒットしたS13シルビアと同じ。
ホイールベースを50mm延ばすとともに、全長を30mm延長し、全高を5mm高め、そして全幅を40mm拡幅したのが、S14シルビアの特徴だった。
ボディサイズは全長4520×全幅1730×全高1295mm。日産では「取り回しのよい適度なサイズ」を強調していたものの、コンパクトでスポーティなボディをセリングポイントとしていたS13(全長4470×全幅1690×全高1290mm)と異なり、全幅が1700mmを超える「3ナンバー」サイズとなってしまった。
これが不評の大きな原因とされるが、もうひとつ考えつくのは、先代と似ているようで、なんとなくボテッとしたボディデザイン。
S13の人気の理由に、コンパクトですっきりとスポーティなボディ、というのがあった。
コンパクトとは、いわゆる5ナンバー枠(「小型乗用車」)に車体が収まっていたこと。1989年に税制改正が実施されるまで、5ナンバー車と3ナンバー車では、年間の自動車税が倍以上ちがっていた。
発売当時からシンプルな印象の強かったダッシュボード(1993年の「K’s TypeS」、写真:日産自動車ニュースルーム)
S14シルビア前期型のシートはS13よりうんと身体のホールド性が高まった(写真:日産自動車ニュースルーム)
S14シルビアが登場したときは、税金の問題はなかったものの、車幅が1730mmになったのが、購買者の抵抗感を生んだといわれる。
車体が肥大化しているいまだったら、1730mmなんて細身の部類に入るのだけれど、当時はそうでもなかったということなのだ。
トラック(トレッド=左右タイヤの接地面の中心間の距離)も、前後ともに拡張。フロントが1480mm(S13プラス15mm)、リアは1470mm(同プラス10mm)。
と、頑張ったのに、結局、セールスは失敗の烙印が押された。3ナンバー化が災いしてしまったとされる。残念。
このあと、1999年にS15シルビアが登場。車体幅を15mm細くして5ナンバーサイズに戻った。トラックもフロント1470mmとリア1460mmと縮小。高性能の「スペックR」のみがS14と同等だった。
再び5ナンバーサイズ(全長4445×全幅1695×全高1285mm)に戻ったS15シルビア。状態がよければ200万~300万円を超える価格で中古車市場で売られている(写真:日産自動車ニュースルーム)
ファンの方には恐縮だが、スタイリングも売れなかった理由とされている。
よく見るとクオリティ感は上がっているものの、S13からのキープコンセプトでありながら、シャープな印象が薄まっているのだ。
ルキノやスカイラインクーペとの棲み分けも弱かった
さらに私見では、当時の日産全体の車種構成がいまひとつはっきりしていなかったことも、失敗の要因だと思うのだ。
いわゆるセグメンテーションが曖昧だった。これもS14の不運だったのではないだろうか。
共通のデザインテーマを与えられた2ドアクーペが当時、日産には多かった。「サニー・ルキノクーペ」(1994年)と、「R33型スカイラインクーペ」(1993年)だ。
S14シルビアと同時期に売られていた「サニー・ルキノクーペ」(上)とR33型スカイラインクーペ(写真:日産自動車ニュースルーム)
デザインテーマだけでない。エンジンラインナップやスーパーHICASなど、いろいろな面で、重なる要素がいくつもあった。
ルキノはせいぜい1.6リッターにとどめ、スカイラインは2.5リッターメインの3ナンバーボディにして、S14シルビアは、2リッターメインの5ナンバーで、かつ走りのクーペとしたらどうだったろう。
日産もデザインの“失敗”に気づいて、1995年のマイナーチェンジで、フロントマスクを中心に手を入れ、ヘッドランプを中心にデザインを見直した。
S14シルビアの後期型はシャープな顔つきで走り屋の人気を誘った(写真:日産自動車ニュースルーム)
「高性能な“走り”をさらに強調するため、エクステリアをダイナミックでスポーティなデザインに変更」したことを、同年6月1日のプレスリリースで謳っている。
このときのマイナーチェンジで、一部車種のダンパーセッティング変更やブレーキ容量の拡大などを実施。わりと地味。逆にいうと、それまでにやれることはほぼすべてやっていた、となる。走りの面でやることがなかったのだろう。
正統的なスポーツクーペだった
運転すると、楽しい。クルマが本来持っている、素直な操縦性と、パワーを自分でコントロールして走れるような感覚が、おおいなる魅力だった。まったく不満はなかった。
S13、このS14、そして最後のシルビアとなるS15と、連綿と続いたモデルチェンジ。
2リッター4気筒ユニットをもつ後輪駆動クーペというテーマはブレず、少しずつパワーアップし、それに合わせて足まわりなどに手を入れられた。正統的なスポーツクーペのありかたではないか。
シルビアが生産終了したのは2002年。「平成12年排出ガス規制」が実施され、排ガス中のNOx(窒素酸化物)、CO、HC(炭化水素)の量を“うんと”減らすことが義務づけられた。
そのタイミングで、割に合わないということか、自動車ファンに人気があったスポーツ車がどっと姿を消すことになった。シルビアも残念ながら、そこに入っていた。