世界20か国弱、約3000台が活躍
2023年1月北大西洋条約機構(NATO)主要国のイギリス、アメリカ、ドイツは主力戦車(MBT)300台以上をウクライナに送ることを決意した。
【画像】えっ…! これが日本の「軍事費」です(9枚)
「チャレンジャー2」(英)、「M1エイブラムス」(米)、「レオパルト2」(レオ2、独)の3タイプで、どれも120mm戦車砲を備えた「第三世代」の現役で西側MBTの代表格でもある。
なかでも、レオ2は200台以上と全体の大半を占め文字通りの主役と言える。またレオ2の前作で、105mm砲装備の「第二世代」MBT「レオパルト1」(レオ1)も100台以上がNATO各国から蔵出しされてウクライナに送られる。
ウクライナ戦争の発生直後からゼレンスキー大統領率いるウクライナは西側MBTを欲し続けるが、なかでも「レオ2」をご指名で切望するのが印象的だが、なぜレオ2に恋い焦がれるのか。
同車はNATO加盟30か国のうち実に10か国が採用し、スウェーデンやフィンランド、永世中立国のスイス、オーストリアも導入することから、「欧州標準戦車」と呼ばれるほど特に欧州で普及している。裏を返せば2000台以上の在庫がウクライナの目と鼻の先の友好国にあって入手も楽で、訓練や部品調達も簡単というメリットが、ウクライナ側の心を引き付けているようである。
レオ2は欧州やNATOにだけでなく、チリ、インドネシア、シンガポールなど中南米、アジアにも輸出され、世界中で3000台近くが活躍する。
今後レオ1、レオ2の独戦車がそろってウクライナの戦場で活躍することになるようだが、なぜこれほど独戦車はこれほど人気があるのか。
戦車を中核にした機甲部隊と「電撃戦」
ゲパルト自走対空砲(画像:写真AC)
独戦車人気のベースには戦車という、新兵器の利点を見抜き、実戦で応用したドイツの先進性があるだろう。
第1次大戦で大敗したドイツでは、やがて祖国復活を叫ぶヒトラーが政権を握り、欧州制覇の野望に駆られるが、「西にフランス、東にソ連」と大陸軍国を腹背に抱えて戦力分散が避けられず、国防上極めて不利な状況にある。
とは言え、双方に大軍を張り付けさせては非常に非効率で、膨大な予算もかかる国力がそがれてしまう。東西両戦線で同時に戦火を交えるのは「腹背の敵」の言葉どおり愚の骨頂で、これを解決するには戦場から戦場へと瞬時に移動できる足回りを備えた大部隊を作ればいいとの結論に達する。
そこで第1次大戦に登場し、キャタピラ(履帯)で原野を駆け抜ける新兵器・戦車に目を付ける。
戦車は、
・走:機動力(スピード)
・攻:打撃力(戦車砲の威力)
のバランスが重要だ。ドイツは「走」を重視し、次に「攻」、そして「守」には目をつぶる味付けで開発を急ぐ。また戦車を中心に装甲車や自走砲を多数従え、歩兵もトラックに乗せて移動するスピード重視の「機甲(機動装甲)部隊」を編成した。
1939年には、この機甲部隊による世界初の電撃戦で隣国のポーランドを瞬時に制圧し、返す刀で今度は西に進路を変えてフランスに進撃し、あっという間に屈服させた。
第1次大戦の地上戦では
「塹壕(ざんごう)に立てこもっての消耗戦」
が当然の姿だっただけに、多数の戦車を集団で使いスピードで相手を圧倒するという新戦術は、当時の人間の度肝を抜いたに違いない。
ブランド力アップに貢献したドイツ車
フォルクスワーゲンのウェブサイト(画像:フォルクスワーゲン)
独機甲部隊のキモは秀逸な性能・設計の独戦車に異論はないが、ここではハード面以外の部分、例えば「伝統・伝説」「信頼」「マーケティング」といった「ソフト」がブランド力をアップしている点に注目してみる。分かりやすく言えば、
1.「VW(フォルクスワーゲン)」の普及
2.伝説のロンメル元帥
3.ソ連の最強戦車「T-34」との死闘
4.輸出を念頭に開発した「レオ1」
の主に4点だ。
まず「1」だが、そもそもドイツは世界屈指の工業大国で特に鉄鋼・金属、機械、化学に強く、戦車という複雑な工業製品を作る能力がある。第1次大戦の大敗後にヒトラー政権は経済復興や近い将来の軍備強化をもくろんで自動車産業に注力し、フォルクスワーゲン(VW)を旗揚げして世界的ベストセラー車「ビートル」を量産した。
ところが第2次大戦でドイツは再び敗北して東西に分断され、一方の西ドイツは西側陣営に加わり復興に汗を流す。この時大戦前に築き上げたVWを始めとした独自動車産業は、「経済性」「丈夫」「アフターサービスのよさ」の三拍子で世界市場を席巻し、ブランド力も高めながら経済成長を後押しした。
翻って世界各国の政治家や富裕層、軍幹部など国を動かす上層階級の大半はVWや「メルセデスベンツ」「BMW」などドイツ車になじみ、製品の優秀さ・丈夫さも手伝い
「ドイツ製なら間違いない」
「砂漠の狐」の伝説的な戦いも一役買う
ドイツのティーガーI(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)
次の「2」に掲げたロンメル元帥(エルヴィン・ロンメル。1891~44年)の存在も大きく、「イメージ戦略」「ブランド力向上」に一役買っている。
先の大戦では天才的な戦術で連合軍を翻弄(ほんろう)した戦車戦の名将で、敵の米英の将兵たちすら一目置くほどだ。特に北アフリカの戦いではその神出鬼没さから「砂漠の狐」とあだ名された。
どこの国でも戦車部隊は陸軍の花形・出世街道で、士官の大半はロンメルに憧れ、幼い時から映画やテレビ、雑誌を通じ彼の武勇伝に心を躍らせていただろう。つまり「1」と同じく、MBTを選ぶ際にロンメルが駆使したドイツ戦車の直系、レオ1、レオ2を推しても不思議ではない。
「3」に関しては独ソ戦(1941~45年)の影響が強い。第2次大戦の欧州戦線で展開された史上空前の大戦車戦で、ソ連に攻め込んだドイツ侵攻軍は、突如現れたT-34に大慌てとなる。足が速く、装甲も厚く、戦車砲も強力で「走・攻・守」の三拍子を高いレベルでしかもバランスよく備えた新手のソ連戦車に、独機甲部隊の大半の戦車は歯が立たなかった。
結局、ドイツ側は「パンター」「ティーガー」といった当時最強クラスのモンスター級の戦車を繰り出して対抗したが、生産数は両車とも数千台規模程度で、6万台超というT-34の桁外れの物量に多勢に無勢だった。
ドイツは無謀な戦略の果てに無条件降伏をたどるが、個別の戦車戦における独戦車の奮闘ぶりは伝説にもなっている。加えて、その後の冷戦で西側陣営が宿敵・ソ連と対峙(たいじ)すると、事実上西ドイツが彼らと戦車戦を交えた唯一の国(朝鮮戦争で米英の戦車が北朝鮮軍のT-34と若干の戦車戦を演じたが)という経験はその後の兵器開発でも実に説得力を持つ。
特に軍事の世界で「実戦経験」はモノを言い、その後誕生したレオ1、レオ2の「箔(はく)付け」にもなっている。
市場分析で要望に応える柔軟さ
ティーガーII(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)
「4」 は、第2次大戦後に西ドイツが開発した初のMBT・レオ1でのマーケット戦略と言ってもいい。同国は冷戦が激化する1955年に再軍備とNATO加盟を果たし兵器開発も許されると、「俺に任せろ」とばかりに戦車開発に挑む。
当時新生西ドイツ軍はM47、M48などアメリカ製MBTを有したが、鈍重で戦車砲も弱く核戦争に備えた防護装置もない代物で不満だった。また対戦車ミサイル(ATM)の発達を考えて、装甲の厚さを増やすよりも、足回りと戦車砲の威力を重視して開発に臨む。こうして完成したのがレオ1で、俊足でATMの攻撃を振り切るのが主眼で(当時のATMは有線誘導で飛翔速度も遅かった)、1960年代半ばから量産を始めた。
当初フランスと共同で戦車開発を続けたがやがて破談し、レオ1にやや遅れてフランスも似た性能の「AMX-30」を誕生させた。
1960年代にNATOではこのほか「M60」(米)や「チーフテン」(英)など第二世代MBTが次々誕生しているが、M60は装甲を厚くしたため鈍重で、チーフテンも装甲が厚い上に戦車砲も巨大で、当時のMBTでは最重量クラスの55tに達し足も遅かった。
またAMX30の性能はレオ1に近く「好敵手」に思えたが、レオ1が戦車砲の規格をNATO標準でM60も採用する「L7シリーズ」を選んで、砲弾や部品の互換性を重視したのに対し、AMX-30はフランスが1960年代半ばにNATO軍事機構から脱退した影響を受け、主砲は同じ105mm砲ながらもNATO標準と互換性のない独自仕様にこだわり。海外輸出が振るわない一因ともなった。
加えて米英仏の場合、兵器輸出を「安全保障戦略の有力な手段」と捉え、相手国への軍事的影響力を慎重に考える。特にアメリカの兵器開発は「世界を股(また)に掛ける米軍が使う世界最高峰のアイテム」が最重要課題で、海外輸出は「二の次」の傾向が強い。しかも外国への売却はあくまでも「有償の軍事援助(FMS)」とのスタンスで、顧客に販売するというよりは売ってやるという
である場合が多い。
これに対し第2次大戦の敗戦国・西ドイツ(現ドイツ)の場合は、兵器は
「工業製品」
と割り切り、紛争当事国や共産圏、国連による禁輸国、反西側国家以外なら、あまり政治的思惑を挟まずに輸出する傾向が強い。
そこへ来て「1」~「3」で指摘したブランド力や伝説、信頼性、きめ細かなアフターサービス、特に採用国の要望に柔軟に対応できるように、初めから車体設計に余裕を持たせるなど、受注獲得の工夫に余念がない。
その結果、レオ1はイタリアやオランダ、ベルギー、ギリシャ、トルコといったNATO加盟国や、ブラジル、豪州など15か国以上が導入を決め、総生産台数は6500台を超える。
「中古バーゲンセール」で市場拡大
M1(画像:アメリカ陸軍)
レオ1の成功で「戦車王国」の看板を復活させたドイツは、1970年代に入ると第三世代MBT・レオ2を開発する。レオ1の成功で市場開拓に成功したドイツにとって、レオ2の販売は容易だったろう。レオ1導入国の大半は次期MBTの選定で、引き続きドイツ製のレオ2にする確率が高いからだ。
しかもレオ2もレオ1と同様に顧客の独自仕様や数十年後の大規模な近代化改修にも応じられるよう、余裕を持たせたレイアウトに努めている。将来のバージョンアップを前提にしたプラットホーム(車体)設計」は、ある意味第2次大戦からのドイツの「お家芸」である。
加えて、レオ2が世界中で使われている理由には冷戦終結が大きく関係する。東西対立が終焉(しゅうえん)し東西統一を果たしたドイツは、「平和の配当」とばかりに大胆な軍縮に走り、数千台を保有するレオ2の大半を安価で手放した。
「第三世代MBTなど夢のまた夢」
と諦めていた中小国にとっては夢のような話で、欧州や中南米、アジアの国々がこぞって買い求め、結果的にドイツ戦車の市場を拡大する結果となり、さらに人気が高まるという「好循環」を生み出している。
一方、同じ第三世代の、例えばM1は前述の「米軍第一主義」を忠実に踏襲し、高性能を極めエンジンにはジェット戦闘機を原理的には同じ「ガスタービン」を搭載するが、レオ2はもちろん、大半の戦車が採用する「ディーゼル」に比べて燃費が驚くほど悪く、メンテナンスも面倒なことから、導入国はアラブ産油国の一部や豪州など数か国に限られる。
またチャレンジャーも、相変わらず「装甲・戦車砲重視」に固執し、重量はMBTの限界とも言うべき「70t」に達し、戦車砲も120mmでありながらNATO規格ではない独自仕様であることから、欧州での採用は皆無で中東の数か国が導入するにとどまる。
実は実戦経験は米英に比べ極めて少ない
ベルリンの街並み(画像:写真AC)
問題は「実戦経験の少なさ」である。正確に言えば、実はレオ1、レオ2も国連平和維持活動(PKO)やゲリラ掃討戦に投入されてはいるものの、正規軍との戦いやましてや戦車の経験などはほぼ皆無な点が気になる。
レオ1は1990年代にクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなど旧ユーゴスラビア紛争に(PKO部隊として)、レオ2は2000年代のアフガニスタン戦争(同)や2010年代のシリア内戦(介入したトルコ軍が装備)などにそれぞれ参戦しているが、あくまでも対ゲリラ戦やPKO活動にすぎない。
それでもアフガニスタンやシリアでは不発爆弾を再利用した即席爆弾(IED)やATMの攻撃で何台かが大破している。
これに対しM1やチャレンジャー2は、湾岸戦争やイラク戦争でイラク軍と戦火を交えているのが強みだろう。果たして「優秀なMBT」なのか否か、真価が試されるのはこれからである。