日産「シルビア」のチューニングカー。トヨタ「アリスト」のエンジンを加工して搭載する(筆者撮影)
「これだけお金をかけても、結局『乗る方が半分』『乗らない方が半分』といったところでしょうか」
「改造車=走らせるもの」というイメージは過去のものとなっている
東京オートサロン2023(2023年1月13~15日)に出展したチューニングショップ関係者が、1990年代の日産「シルビア」をベースにしたチューニングカーの前で、そう説明する。
チューニングカーとはいわゆる改造車のことで、量産車にさまざまなアフターマーケット製パーツ(社外パーツ)を装着し、エンジンの出力を上げたりサスペンションを変更したり、またボディに装着するエアロパーツで外装を演出したりしたクルマのことだ。
東京オートサロンは1980年代から開催され“チューニングカーの祭典”として知られているが、近年は自動車メーカーが“本気モード”で大規模なブースを構えて、まるで“正規のモーターショー”のような傾向が強まっている。昔のような“ヤンチャなクルマ”が目立たなくなってきている印象だ。
そうした中、数百万円ものお金をかけてチューニングしてもそのクルマにほとんど乗らず、ガレージで大切に保管するチューニングカーファンが増えているという。
その非現実的な車高からも走ることが目的でないことがわかる(写真:木谷宗義)
そうしたチューニングカーのベース車の多くは、1980年代から1990年代に発売された日本のスポーツカーだ。具体的には日産「シルビア」「スカイラインGT-R」、トヨタ「スープラ」、マツダ「RX-7」などであるが、昨今はこうしたクルマの中古車価格が高騰している。
「昭和のエモさ」と「25年ルール」
1つは、日本国内。当時10~20代だった若者が50~60代となり“大人買い”をする、あるいは若い世代が“昭和のエモさ”を求めて、こうした旧車(俗称:ネオクラシックカー)を購入する社会現象がある。
もう1つの背景は海外、特に北米にある。北米では原則として右ハンドル車の登録ができない。しかし、新車登録から25年以上が経過していれば例外として右ハンドル車でも登録できる規制緩和措置を行う州があるのだ。俗に言う“25年ルール”である。
この25年ルールにより“解禁”となった日本のネオクラシックカーが、1990年代末から2000年代初頭の“日系チューニングカーブーム”に触れた、いわゆるジェネレーションXやその次の世代であるジェネレーションYが近年“大人買い”する傾向があるのだ。
こうした25年ルール適合について、排ガス規制を強化する動きも一部の州では見受けられるが、日本から多くのネオクラシックカーが北米にわたる状況が続いている。先に上げたシルビアやスカイラインGT-Rなどは、まさに25年が経過したタイミングなのである。
中には新車価格の2倍を超える価格で取引されるクルマも(写真:日産自動車)
このようにネオクラシックと呼ばれる時代のクルマは、今や乗って楽しむだけではなく、飾って楽しむ骨董品的な価値を持つ「コレクタブル」なものになっており、破格の価格がつくようになっているのだ。
チューニングカー文化は1960年代から
ここからはチューニングカーの変遷を振り返り、それを踏まえて“これからのチューニングカー”を考えてみたい。
自動車産業界に40年以上にわたり関わってきた筆者は、チューニングカーの領域についても日米欧でさまざまな立場で、その変遷を見てきた。そうした体験から、日系チューニングカーの歴史を簡単に振り返ってみたい。
まずは、高度成長期の1960~1970年代には、自動車メーカーのレース参戦に刺激された若者が、エンジンに燃料と空気を送る調整装置であるキャブレターを交換したり、エンジン内部を加工して排気量を上げるチューニングなどが流行。
こうしたパーツの販売や整備を行う専門のショップが、一般整備工場の関連事業などとして全国各地に立ち上がった。
当時、若者の憧れだったスカイライン(写真:日産自動車)
1980年代になるとアルミホイールがブームとなり、同時にエアロパーツを自作するユーザーも増えるなど、走りだけではなく“見せるチューニング”が増えていく。自動車雑誌でのチューニングカー特集が増え、チューニングカー専門誌が次々と登場したのも、このころだ。
このうちの1つを発行する出版社が、「レーシングカーショー」との連携企画として立ち上げたのが、東京オートサロンの前身である「東京エキサイティングカーショー」で、1983年に初開催された。
以後、毎年開催されるが、開催地である東京晴海埠頭の周辺には全国各地から愛車自慢の過激なチューニングカーが終結し、騒音や違法な集団走行が問題化。地元警察が出動することも珍しくなかった。
また、1980~1990年代にかけては、チューニングカー雑誌のほかにコンビニや書店でVHSビデオによるチューニングカーのビデオマガジンが販売され、その企画に刺激された一部のチューニングカーユーザーが、首都高湾岸線をサーキットのように走り回ったり、開業間もない東京湾アクアラインで“時速300kmアタック”を繰り広げたり、山間部の峠道でドリフト走行をしたりと、道路交通法上の違法行為が横行した。
夜の首都高を周回する「ルーレット族」などが問題化した(写真:shuu / PIXTA)
その結果、1990年代も後半になると、道路交通法の改正や保安基準に合致しない違法改造車の取り締まり強化が行われ、チューニングカーブームは徐々に沈静化していく。さらに2000年代に入ると、スポーツカーの生産終了が相次いだことや騒音規制がさらに厳しくなったことで、ブームは終焉とも言える状況となった。
しかし、完全な終焉とはならなかった。これまでとは正反対に、自動車メーカー各社がスポーティブランドのPRやオプションパーツの販売拡充のために、東京オートサロンに出展するようになっていったのだ。保安基準を満たした軽度なチューニングの分野に、自動車メーカーが乗り込んできたのである。
映画『ワイルド・スピード』のリアル
一方、ロサンゼルスなどアメリカ・カリフォルニア州南部では、日本のチューニングカーブームに刺激された風変わりな社会現象が起こる。
東洋系アメリカ人を中心とした若者の一部が、両親から譲り受けたホンダ車に軽度なチューニングを施して、違法なドラッグレース(停止状態から約400mの直線を走りタイムを競う競技)を夜な夜な繰り広げるようになったのだ。
こうした状況をドキュメンタリータッチで描いた映画作品が2001年の『The Fast and The Furious(邦題:ワイルドスピード)』である。筆者はその撮影現場に居合わせているのだが、まさかあの低予算の作品があれほど“大化け”するとは予想できなかったものだ。
同作品はアメリカのみにならず、日本を含めたグローバルで高い興行収益を上げ、続編の撮影も始まったのだが、アメリカ国内でチューニングカーに対する警察の取り締まりが一気に強化されたため、そのブームは数年であっさり消滅してしまった。
それ以降、アメリカでの日系チューニングカー事情は大きく変わり、一部の愛好家が法規に合致した領域でチューニングを楽しむ、またはアフターマーケット見本市の「SEMAショー」などでの展示目的として、“走行しないこと”を前提とした過激なデコレーションをすることが主流となっている。チューニングカーも、時代とともに変化しているのだ。
チューニングカーはこれからどうなるか?
では、これから先のチューニングカーはどうなっていくのだろうか。筆者は、前述のような「日系ネオクラシックカーのコレクタブル」と富裕層による「欧米系高級BEVチューニング」へと2極化していくと見ている。
新旧の日産「フェアレディZ」。古いモデルはすでにコレクタブル化している(筆者撮影)
それはなぜか。これから日本車のBEVシフトが進んでも、一般的な自動車ユーザーがBEVを積極的にチューニングするようなトレンドは生まれにくいと推測するからだ。
日系チューニングカーは、そもそもがガソリンエンジンを使ったクルマのカルチャーであり歴史であるからこそ、現在のような“コレクタブル化”が起こっている。つまり、BEVのカスタマイズとは、まったく趣味の領域が違う。
一方で、ヨーロッパを起点に急激に進むBEVシフトの中では“スーパーカーのBEV化”も加速しているから、より速いBEVを求める声が富裕層の間で拡がる可能性は十分にある。
東京オートサロン2023にトヨタが出品した「カローラレビン」のBEV仕様(筆者撮影)
そんな中、トヨタは東京オートサロン2023で、1980年代のAE86型「カローラレビン」/スプリンタートレノ(通称:ハチロク)」をベースにしたBEVと水素燃料車を登場させて話題となった。
これらは、あくまでもトヨタがカーボンニュートラルを意識したマーケティング活動の一環で、チューニングカー市場をこの方向に引っ張っていこうという意思表示ではないだろう。
しかし、トヨタがこのタイミングで、この2台を披露してきたインパクトは大きい。いずれにしても日系チューニングカーは今、大きな時代の転換点に立っているのだ。