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原付のルーツ! ホンダ「カブ号F」とかいう、戦後を駆け抜けたイカす乗り物

1946年誕生のホンダ自転車補助エンジン

 太平洋戦争終結直後、復興のために市井(しせい)から強く求められたのは安価で手軽な個人移動手段だった。自転車は作る側から飛ぶように売れ、払い下げられた航空機部品の再利用という形でスクーターが誕生したのもまさにこの時代だった。

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 そして、戦後間もない1946(昭和21)年10月に創業したばかりの本田技術研究所が最初の商品として注目したのは、自転車をより有効に活用するための後付け補助エンジンだった。

 本田技術研究所を率いていた本田宗一郎は解散した陸軍から放出された機上発電機用小型エンジンを500基余り入手、これを改造し自転車用補助エンジンとして販売したのである。

 この補助エンジンは自転車とは酷使するものという当時の事情にマッチしていたこともあり瞬く間に完売となった。追加のエンジン入手のめどが立っていなかったこともあり、本田技術研究所では自社エンジンの開発を決心、数種のプロトタイプを経た後、1947年にはA型と称された完全自社設計による自転車用補助エンジンの完成を見た。

 A型は1951年まで生産されるという本田技術研究所改め本田技研工業にとって最初のヒット作となった。

運転免許制度の変遷

原付のルーツ! ホンダ「カブ号f」とかいう、戦後を駆け抜けたイカす乗り物

ホンダ自転車補助エンジン。ホンダの処女作というべき自転車用エンジン。元は軍から放出された爆撃機用機上発電補助エンジンだった(画像:浅野良)

 一方、1952(昭和27)年には運転免許制度が大改正を受け、新たに「原動機付自転車」が導入されることとなった。

 ここで少々話が前後するが、ここまでの日本の二輪車免許を含めた運転免許制度の変遷を振り返っておこう。

 わが国における自動車運転免許は1933年に全国統一の制度ができるまでは、道府県単位で発行されていたにすぎなかった。加えてこの時点まで独立カテゴリーの二輪免許は存在せず、小型車に包括されていた“おまけ”の免許でもあった。

 その後、1948年の改正で

・第三種小型自動車(排気量151cc以上1500cc以下の二輪車)

・第四種小型自動車(排気量150cc以下の二輪車)

という二輪車枠が初めて導入され、続いて1949年には第4種小型自動車を二輪だけではなく、三輪車も四輪車も包括した上で「軽自動車」改称。さらに1950年には軽自動車枠の中から「軽自動二輪車」を分離するといった具合にめまぐるしく変化していた。これは戦後急激に流入して外国車対策でもあった。

制度導入で自転車用補助エンジンに光

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ホンダA型。ホンダのオリジナル設計による補助エンジン。ベルトドライブなのは最初のモデルと同じ(画像:浅野良)

 そして前述通り、軽自動二輪車から分離する形で1952年から導入された「原動機付自転車(排気量90cc以下の二輪車/2ストロークサイクルの場合は60cc以下)」が登場する。

 ただし試験が必要な免許証ではなく、視覚と聴覚という簡易な検査をクリアさえすれば簡単に許可証が交付される許可証制度となっていた。交付に当たっての最低年齢も14歳と現代よりもはるかに規制が緩かったと言っていい。

 この原付許可制度の導入に真っ先に反応したのはかつて市場で人気を集めた自転車用補助エンジンだった。本田技研工業は真っ先にA型に続く「カブ号F」を投入。他には

・大和技研工業「大和クイン号」

・瑞穂金属工業「ペティ号」

・日本内燃機製造「パンキー号」

・鈴木式織機「パワーフリー」「ミニフリー」

・富士精密工業「BSバンビー号」

・東京発動機「トーハツ・パピー」

ほか、大中小メーカー合わせて多数が登場する。

 ちなみにこの手の自転車用補助エンジンは免許制度が曖昧ゆえ、事実上無免許でも運転可能だった終戦直後から数種がリリースされていた。冒頭に記した本田技術研究所の最初の商品とその改良型であったA型などである。

操縦安定性も向上

原付のルーツ! ホンダ「カブ号f」とかいう、戦後を駆け抜けたイカす乗り物

昭和の日本イメージ(画像:写真AC)

 しかし前述した通り、1948(昭和23)年に免許制度が改正されたことで新たに免許が必要となったことから多くが姿を消した。A型が生産を継続したのは免許制度改正後もそれなりに需要があったことが理由である。

 復活した自転車補助エンジンであるカブ号Fは2ストロークサイクル50cc単気筒という基本メカニカルスペックはA型と同じだったが、カブ号Fはエンジンの搭載位置をA型のフレーム前方から後輪の左サイドへと移していたのが特徴。

 これによって、従来は排ガス中の未燃焼オイルで服が汚れてしまうという欠点が改善された。またエンジンの搭載位置が低くなったことで重心が下がり操縦安定性も向上した。

 さらにエンジン本体を鮮やかな赤に、その上部の丸形燃料タンクを白にペイントすることで、見た目の良さを商品価値に反映させていたのも特徴であり、町中では「赤カブ」として親しまれることとなった。

 1953(昭和28)年には原動機付自転車規格の最大排気量60cc(1/3合)未満という規定一杯に合わせて58ccとしたカブ号FIIが追加投入された。

人気は1956年頃まで

原付のルーツ! ホンダ「カブ号f」とかいう、戦後を駆け抜けたイカす乗り物

ホンダのウェブサイト(画像:本田技研工業)

 カブ号Fと同FIIはその好ましいキャラクターとともに1956年頃まで市場での人気を集めた。

 しかし程なくして登場したモーターサイクルスタイルの原動機付自転車、いわゆるモペットが市場をにぎわすに従ってそのプリミティブさが嫌われ静かに消えて行くこととなる。

 さらに、そのモペットの分野でも本田技研工業のスーパーカブが市場を席巻することとなるのはもう少し後のことである。

 原動機付自転車(後に原付と略称されることが多くなる)は1955年から許可制のまま「第1種(排気量50cc以下/許可年齢14歳)」と「第2種(排気量51cc以上125cc以下/許可年齢16歳)」に細分化され、1960年から試験を要する免許制へと移行するまで許可制で運用された。

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