1990年5月にデビューした初代エスティマ(写真:トヨタ自動車)
20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。
時代を先取りした意欲作
一時期ほどの人気はないとはいえ、いまなお根強い支持を受けるミニバン。日本でこのスタイルがメジャーになったのは1990年代に入ってからだと思っているが、その前から3列シートの乗用車はあった。“ワンボックス”と呼ばれたクルマたちだ。
「トヨタの天才タマゴ」のキャッチコピーとともに斬新なスタイルで世間を驚かせてくれた
ワンボックスというと、いまではトヨタ自動車の「ハイエース」が代表格になっている。ただし、ハイエースが誕生したのは1967年であり、前年にデビューしたマツダ「ボンゴ」がそのパイオニアだ。当時は4輪駆動車のことをジープと呼んだように、他メーカーのワンボックスであってもボンゴと呼んでいたという。
その後、日産自動車や三菱自動車工業などからも同様の車種が登場したが、いずれももっぱら国内向けだった。当時から日本のメーカーにとって重要だったアメリカ市場は、はるかに大柄なフルサイズのバンが主流で、カテゴリーが別だったからだ。
しかし、1980年代になるとそのアメリカでひとまわり小柄な、その名も“ミニバン”が登場。日本のメーカーも、このカテゴリーへの参入を考えることになる。ここでトヨタが生み出したのが「エスティマ」(海外名:プレヴィア)だった。
当時の価格は約300万円でカローラの最上級モデルのおよそ2倍であった(写真:トヨタ自動車)
最大の特徴はフロントエンジンではなく、床下にエンジンを寝かせて搭載した“アンダーフロアミッドシップ方式”だったこと。ノーズが不要であることから、スタイリングは全体を曲面で覆ったワンモーションフォルムとしており、当時のCMでは「トヨタの天才タマゴ」と称していた。
実はこの頃、トヨタでは2ストロークエンジンの開発を進めており、エスティマに積む予定だった。現在の主流である4ストロークが、1つの行程で各シリンダーの上下の動きが4回(つまり2往復)必要なのに対し、2ストロークは半分の2回で済む。つまり、同じ排気量でも力が出せるから効率がよい、というわけだ。
アンダーフロアミッドシップ方式のエスティマは、このエンジンを搭載する前提のパッケージングだった。
しかし、開発がうまくいかなかったようで、結果的には4ストロークの2.4リッター直列4気筒エンジンを75度も倒して、前席下に積んで発売された。
ボディサイズは全長4750mm×全幅1800mm×全高1780mmと当時としては大きく、北米向けであることがうかがえた。見るからに長いホイールベースは2860mmもあり、全長4690〜4860mmだった当時のクラウンのホイールベースを130mmも上回っていた。
エスティマは、インテリアも前衛的だった。とりわけインパネは、前にエンジンがないことを生かし、中央部を操作性のために手前に張り出し、左右を奥に追いやることで開放感をもたらしており、卵のカラザを思わせた。
縦置きエンジン後輪駆動が基本なので、床は高めであり、キャビンの天地はさほどではなかったものの、2800mmを誇る室内長は圧倒的だった。
しかも、ミッドシップで低重心、前後の重量配分に優れ、タイヤが車体の4隅にあるパッケージングは、背の高さを除けばレーシングカーに近いものであり、ハンドリングは既存のワンボックスとは別次元だった。
フロアとシートの高さからも乗用車ライクなクルマであることがわかる(写真:トヨタ自動車)
ただし、北米では当初からアンダーパワー(パワー不足)という声が多く、途中でスーパーチャージャー付きエンジンを追加したものの、ネガティブなイメージを払拭することができなかった。
一方国内では、当時はまだ税制面から3ナンバーボディを控えるユーザーが多かったこともあり、1992年にボディを5ナンバー枠に収めて、ディーゼルターボエンジンを用意したエスティマ「エミーナ/ルシーダ」を出した。
セレナやスペースギアが追随
エスティマが先鞭をつけたこの脱ワンボックスの流れは、他のメーカーも追随するようになる。
1982年に国産ミニバンのパイオニアである前輪駆動の「プレーリー」を送り出していた日産自動車は、1991年に「バネット」の後継車として、エンジンを前席間に置いたまま前輪を前に出した「バネットセレナ」をリリースした。
また同じ年、それまで3列シート車を持っていなかったホンダは、アコードの生産設備を活用することで「オデッセイ」を登場させる。前輪駆動方式と低めの車高がもたらす走りはエスティマ以上に乗用車的で、スマートなデザインのおかげもあり大ヒットとなった。
エスティマの2代目モデル(中期型、写真:トヨタ自動車)
こうした流れを受けて、エスティマも2000年発表の2代目では、オデッセイと同じ前輪駆動に変更。待望のV型6気筒3.0リッターエンジンに加えて、ハイブリッドも追加した。北米向けは、ボディをひとまわり大きくした「シエナ」が担当することになり、エスティマは日本市場を主としたクルマとなった。
しかし2年後、プラットフォームを共有する「アルファード」が登場すると、押し出しの強いフロントマスク、豪華なインテリア、箱型ボディによる広いキャビンなどが人気を集めるようになる。
次世代に生かしたいそのフォルム
エスティマは2006年に3代目にモデルチェンジしたが、2008年にアルファードが2代目となり兄弟車の「ヴェルファイア」も登場すると、ますますその人気は高まり、エスティマのニーズは減少。その後はマイナーチェンジを繰り返すのみで、2020年で販売を終了した。
2016年に最後の大規模マイナーチェンジを受けたエスティマ(写真:トヨタ自動車)
キャラクター的に近いオデッセイも、日本向けは2021年でフェードアウト。すでにマーケットの人気はSUVになっており、スタイリッシュなミニバンは頭打ちの状態になっていた。中途半端にカッコよさを追求するより、潔く箱に近づけ、広い室内空間をもたせたほうがわかりやすいのだろう。
しかし、エスティマが本来持っていた、先進的なイメージを生かすという手はあるはずだ。具体的には燃料電池自動車(FCEV)としての復活を期待したい。なぜなら燃料電池の燃料である水素は、液化しても比重は水の100分の7程度にすぎないからだ。
パッケージング的に好ましいのは、軽い水素を収めるタンクを車体中心の低い位置に置くセダンの「ミライ」より、屋根の上に積むバスの「SORA」のほうだろう。
SORAのパッケージングを乗用車のカテゴリーに落とし込み、スタイリッシュにまとめるには、エスティマのフォルムは適している。そう考えるのは筆者だけではないはずだ。