会見に臨むダイハツ工業の井上雅宏新社長 Photo:Bloomberg via Getty Images
ダイハツ主導は軽のみに
トヨタとの連携体制を刷新
認証試験での大規模な不正により、昨年12月末から全車種の国内生産・出荷を停止するという前代未聞の事態を起こしたダイハツ工業。4月8日、同社は再生に向けた経営方針を発表し、記者会見を開いた。
会見には、3月1日付で就任した井上雅宏社長(前トヨタ自動車中南米本部長)と桑田正規副社長(前トヨタ九州副社長)、星加宏昌副社長(ダイハツプロパーで留任)らダイハツ新首脳陣が出席した。井上新社長は「ダイハツは軽自動車を中心としたモビリティカンパニーとなり、トヨタグループ内での役割を再定義する」と、新たなダイハツの方向性について語った。
ここで明らかになったのは、トヨタとダイハツの東南アジアなど新興国向け小型車事業の体制変更だ。従来の軽自動車事業とは別に、ダイハツブランドおよびトヨタにOEM(相手先ブランドによる生産)供給で展開している、国内と東南アジアのA・Bセグメントの小型車事業をトヨタ主導に切り替えることでダイハツの負荷を低減し、不正の再発防止を図る。従って、ダイハツ主導の事業は軽自動車のみになる。
ダイハツは、23年12月、量産に必要な「型式指定」を得るための認証審査に174件の不正があったと公表した。その結果、国内での生産・出荷を全面停止する事態となり、「ダイハツブランド」が大きく毀損(きそん)することとなった。親会社のトヨタはダイハツ立て直しに向けて、3月1日付でトップ交代を含む新経営陣に体制を刷新しており、再発防止に向けた新経営方針を4月に発表することになっていた。
今回明らかになった「軽を中心としたモビリティカンパニーへ」という新経営方針により、「ダイハツは軽自動車に専念する」というトヨタグループでの位置付けが明確化される。
ただし、不正でダイハツブランドの信用・信頼は大きく毀損しており、軽自動車に専念するからといって、その販売をすぐに回復させるのは容易なことではない。
先に発表された23年度(23年4月〜24年3月)の軽自動車新車販売台数で、ダイハツは18年ぶりに首位から陥落した。ダイハツの販売台数は44万3694台、前年同期比22%減となり、スズキの55万2251台、同7%増に大きく引き離された。特に、1〜3月のダイハツの販売台数は前年同期比74%減と全面生産停止が大きく影響した。
ダイハツとスズキは常に軽自動車首位争いを続けてきたが、今回はダイハツの“自滅”による首位交代となった。「出荷停止で売る車がない上に、信頼・信用が低下したことで、販売現場を回ってお叱りを受けた。なんとか回復の道を目指したい」(井上社長)と、販売店現場から厳しい声も上がっているようだ。
また、「軽を中心とするモビリティカンパニーへ」を掲げるならば、新生ダイハツの大きなテーマとなるのが、やはり軽自動車のEV開発だろう。特に、ダイハツのカギを握るのは軽商用車BEV(バッテリーEV)だ。
ダイハツはトヨタグループの商用車連合(CJPT)において、トヨタ・スズキと共同でBEVの商用軽バンを開発し、3月にも発売する計画であった。しかし、不正発覚により2月にダイハツがCJPTから脱退したことで、ダイハツとスズキの両ブランドで市場投入することになっていたこの商用軽BEVは、宙に浮いた形となってしまったのだ。
不正の背景に
親会社の意向?
今回のダイハツの認証不正は、第三者委員会の認定では174件にも上った。また、軽自動車でスズキからシェアトップを奪還し、トヨタへの車両供給が増えた2014年以降に不正が広がったとされている。一連の経緯を見ると、やはり不正の背景には親会社の意向に沿おうと無理を重ねた実態があるのだろう。
ダイハツは、設立が1907年と日本の自動車メーカーで最も古い歴史を持つ。内燃機関の国産化を目指して発電や船舶、鉄道車両へと用途を広げ、30年にオート三輪「ダイハツ号」を発売し、自動車事業に参入した。57年に発売した軽オート三輪「ミゼット」は庶民の足として大ヒットした。
トヨタとは67年に業務提携し、98年にトヨタが50%資本出資して子会社化している。今回の最も古く不正が認定された1989年以降、ダイハツの社長・会長はほぼトヨタから送り込まれてきた。
それでもダイハツは、軽自動車でスズキを抜いてトップシェアを続けていたり、小型車ではトヨタ向けOEM供給をしたり、海外ではインドネシア、マレーシアに生産拠点を築き、東南アジア諸国連合(ASEAN)で独自のダイハツブランドを確立したりするなど、独自のポジションを築いてきた。
だが、2016年7月27日にダイハツ工業は上場を廃止し、8月1日付でトヨタの完全子会社となった。この完全子会社化で、ダイハツはトヨタの小型車部門の担い手としての立ち位置がより明確化され、新興国向け小型車戦略も任されることになった。
三井氏のセリフは、日本とアジアのA・Bセグメントでダイハツの設計、開発、調達、生産の力をトヨタが認めてくれたということだが、その喜びとは裏腹に、開発期間の過度な短縮などの要望が、現場では不正を積み重ねることになったのかもしれない。
トヨタは、ダイハツの立て直しに向けてトヨタ中南米本部長の井上雅宏氏を社長に、トヨタ本体の副社長も経験したトヨタ九州副社長の桑田正規氏を副社長に送り込んだ。ダイハツプロパーで生産畑の星加宏昌氏が唯一副社長として留任し、三首脳陣で再生に向かう。8日の会見でも経営改革で機能軸・縦割りを排除し「横連携」「コミュニケーション重視」を意識した組織再編をするほか、5階層あった組織を3階層(社長→副社長→本部長)へスリム化し、若手プロジェクトリーダーを抜擢することを打ち出した。モノづくり・コトづくり改革、風土改革、経営責任の明確化で再発防止に向けた取り組みを行う。
これらについては、“ありきたり”な項目ばかりなので、むしろどれだけ実践できるか、実行力について注目したい。ただし、経営責任の明確化について、旧経営陣による23年度の賞与返納にとどめていることは疑問だ。長年にわたる不正の根本的な問題は親会社のトヨタの責任にもつながるものであり、歴代トップの責任は免れないはずだ。
ともあれ、大事なのは今後の方向性だ。まずは国内の軽自動車におけるダイハツブランドの回復と、国内ディーラーおよび業販店へのフォローが急務であろう。
かつてトヨタでは、トヨタ自販の「一にユーザー、二にディーラー、三にメーカー」という顧客第一主義の徹底が「販売のトヨタ」を築き上げた。ダイハツも“良品廉価”の商品に、過去に築いたディーラー網と業販網の販売力がかみ合うことで、軽自動車のトップシェアを続けてきたのだ。
需要がシュリンクしながらも国内自動車市場の4割を占めるなど、まだまだパイは大きい軽自動車市場で再び首位を奪還できるかどうかは、生き残りに向けた試金石となるだろう。
一方で、軽自動車のBEV化も依然大きな潮流として立ちはだかる。特に軽BEVは、いかにコストダウンできるかが大きな課題だ。軽乗用車と軽商用車では取り組み方も異なってくる。余談だが、ダイハツはかつてBEVに取り組んだこともある。群馬・前橋にあった子会社のダイハツ車体(現ダイハツ九州)でEV(ゴルフカート)を製造していた。
軽商用車ジャンルの中で軽トラックはダイハツとスズキだけが生産メーカーでもあり、日本独自の規格である軽自動車(軽乗用車・軽商用車)自体を維持できるかも含めて、今後この軽EVの方向次第では、軽自動車の再編にもつながる可能性も否定できない。
軽自動車の「ガラパゴス化」も指摘される中で、ダイハツのライバルであるスズキはインドで圧倒的な収益力を誇っている。「軽を中心としたモビリティカンパニー」のダイハツが生き残るために早くみそぎを済ませて、しっかりとした経営を行ってほしいと願う。
(佃モビリティ総研代表・NEXT MOBILITY主筆 佃 義夫)