アップルがEV開発を中止
アップルが自動運転EVの開発プロジェクトを終了し、販売を断念したという。2000人ものスタッフはAI開発のセクションへ転籍となり、ライバル企業に比べ参入が遅れているAI分野の開発を加速させるようだ。
このことから分かるのは、アップルはモビリティ産業への進出を諦め、ITのソフトウェアとそれを扱うデバイス(つまりコンピュータ本体とその周辺機器)に専念していく、ということだ。
そもそもアップルはソフトウェアとハードウェアの両方を開発・製造し、同業他社にはない価値観を提供することで成長した企業だ。スマートフォンの「iPhone」はその典型的な例であるし、PCも独自OSと専用機だけで提供(昔は他社にもOSを利用させていた時代もあった)している。
最近もVRゴーグルで新商品をリリースし、独自の世界観を展開しているアップルがモビリティ分野への参入をなぜ諦めたのか。AI分野での遅れを取り戻すため、というのは言い訳にはならない。なぜなら、本気でAI開発を加速させるのであれば、増員すればいいからだ。
このことから分かるのは、アップルはやはり自動運転EVをソフトウェア主導で考えていたのだな、ということだ。それも撤退の理由の一つにつながる。
●グーグル、ダイソンも諦めたEV参入の難しさ
しかし、それは英国発の家電メーカー、ダイソンの例を見れば理想論だと分かる。ダイソンは独自のモーター技術をもってすれば、既存の自動車メーカーでは実現不可能な魅力的なEVが作れるともくろんで開発を始めたが、わずか2年後(実際には発表前から基礎開発は行っていただろうが)には開発をストップして、製品化を断念した。2019年のことだ。
一方、商品としては魅力的なモノが出来たと創業者のジェームズ・ダイソン氏は述べていた。それは自画自賛であったかもしれない。それでもビジネスとして採算が取れないという判断で撤退を決めたのだ。
異業種からの参入でライバルと差別化できる商品性を備えたEVを作り上げるのは、生半可な技術やセンスでは不可能だ。中国では補助金目当てで乱立した新興EVメーカーが続々と倒産しており、日本にもその名が届く中堅ブランドでも瀕死の状態にあえいでいる。
アップルがEV開発を中断した理由の一つは、こうしたEVとしての商品性と採算性の難しさがある。
だがグーグルの場合は、ダイソンとはちょっと背景が異なる。グーグルが目指していたのは、小さな自動運転車だ。急成長した検索大手は、次の成長分野として自動運転車をターゲットにしたのだ。そしてこれが自動車業界に激震を招くことになる。
●グーグルが開けた、パンドラの箱
そもそも既存の自動車メーカーは、自動運転の導入には乗り気ではなかった。開発費が膨大にかかる上に、走行中の事故に関してもメーカーの責任になる可能性が高まるからだ。
しかし、グーグルがパンドラの箱を開けてしまった以上、追従しなければ存亡の危機にひんする可能性すら出てくる。そこで自動車メーカーも、サプライヤーやベンチャーとジョイントして、自動運転を開発する競争に参加したのだ。
ところが肝心のグーグル(こう書くとグーグルが自動運転分野をけん引してきたかのように思われるかもしれないが、実際のところはそれほど技術力はなかったようだ)は、自動運転車がビジネスベースに乗るのは当分先のことと判断するとあっさりと撤退し、子会社に移行させる。話題だけを提供して自動車業界をかき回したのに、結局「なかったこと」にするのはいささかズルい気もしなくはない。
既存の自動車メーカーに立ち向かうには、圧倒的な商品性、独自の技術力とセンスが必要だった。グーグルの「自治体などに売り込んでまとまった台数を売り、自動運転車を街中に普及させよう」というアイデアは時期尚早だったのだろう。
こうしてはしごを外された形の自動車メーカーと、先行開発分野で資金が集まりそうだと考えるベンチャーが残っただけで、自動運転分野は先の見えない戦いが続くことになったのだ。
ただしグーグルが目指していたのは少人数で移動する低速車両で、高速道路を走る乗用車や街を走るコミュニティバスとは異なる。乗用車版の自動運転車と時速25キロ程度の低速で移動するコミュニティバスでは、求められる性能がまるで違うのだ。
完全自動運転を早期に実現するのは、限られたエリアを走る低速車両になるのは当然の帰結だ。
●途方もない時間とコストがかかる
繰り返すが、EVを作るのはハードルが低いという見方をする報道もあるが、それは入り口レベルの話だ。しかも自動運転となると、まったく話は別だ。そもそも自動運転と相性がいいことでEVをベースにする前提となっているが、自動運転とEVでは求められる技術レベルがまるで違う。
自動運転の実現には、途方もない時間とコストがかかる。テスラはその開発の一端をユーザーに託すことで効率よく開発スピードを高める戦略を採ったが、いまだに完全自動運転は実現していない。
アップルはパーソナルなモビリティとしてプレミアム性を高めたものを提供しようとしていたのだろうが、自動運転の実現にはまだ膨大な時間がかかると判断して、一時撤退を決めた。これが2つ目の理由だ。
●自動運転が提供すべき“価値観”とは
自動運転が実現すると安全性が高まるのはもちろんだが、ドライバーは移動中に何をするかが問題になる。レベル2の運転支援システムまでは運転する必要があるから、それ以上のレベルの話だ。
レベル3、4でも高速道路など限定されたエリアだけが自動運転で、そこから外れた領域では運転しなければならないものの、自動運転中は読書や音楽、映像などのエンタメを楽しむことができるようになる。
レベル5の完全自動運転となったら、自宅を出るところから自動運転で、目的地の設定以外は座っているだけとなる。レベル4の高速道路モード同様、移動中に乗員に新たな価値を提供できなければ、自動運転車は安全運転をしてくれる運転手付きのクルマでしかなくなる。
ソニー・ホンダモビリティが開発しているEV「AFFELA(アフィーラ)」も移動中の新たな価値を生み出すべく、開発が続けられていると聞く。昨年のジャパンモビリティショーでは、一目見ようと来場者がブースに人だかりを作ったが、そこにあったのは前年に発表されたプロトタイプであった。内外装に液晶パネルを組み込み、さまざまな情報が表示できるようになっているものの、移動中に提供できるのは、やはりエンタメなのだ。
だがスマホやタブレットを持ち込めばできることを、クルマの装備として充実させても、訴求力は薄い。クルマに比べてソフトもハードもアップデートのスピードが早いスマホとでは、クルマはライバルになり得ないのだ。
アップルも移動中の新たな価値をどう提供できるかは、大きなハードルだったはずだ。これが3つ目の撤退理由になったことは想像に難くない。
クルマの電子制御がはるかに高度化されれば、ホイールや外装などをカスタマイズして乗り回すようなことは難しくなっていく。そうなると、パーソナライズされる楽しみもなくなり、シェアカーや自動運転タクシーばかりになっていく可能性もある。
自動運転車になれば、自家用車という概念は薄らいでいくかもしれない。しかしパーソナルな移動手段としてクルマは一定数購入、所有され続けるだろう。運転や移動中の景色を楽しむのがこれまでのクルマだとするなら、これからのクルマはどんな楽しみを提供できるのか。それがクルマの進化だとすれば、どんなアイデアを盛り込んでくるのか。
自動車メーカーやソフトウェアメーカーの創造力が試されている。
(高根英幸)