個性を備えていた稀有なマシン「セリカGT-FOUR」とは
1986年に誕生したセリカとして、4代目となる「セリカGT-FOUR」は、硬派と軟派の両面の個性を備えていた稀有なマシンだったといえるでしょう。
4代目となる「トヨタ セリカGT-FOUR」は1986年10月に誕生した(写真提供:ミハラ自動車)
4代目となる「トヨタ セリカGT-FOUR」は1986年10月に誕生した(写真提供:ミハラ自動車)
当時として5ナンバーサイズでしたが高性能な直列4気筒2リッターDOHCターボエンジンを搭載していました。最高出力は185psを発生、5ナンバーとしては驚くほどのパワーを発揮していたのです。
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同時に、べべルギア式センターデフのフルタイム4WDである点も特徴でした。それをトヨタでは「GT-FOUR」と名付けています。そんな過激なパワーと4WDならではの圧倒的なトラクション性能を武器に、1988年にWRC世界ラリー選手権に挑戦、活躍したのです。1990年には世界ラリーチャンピオンに輝いています。それはトヨタ初の快挙でもありますが、日本車初の偉業でもあったのです。
1990年 WRC第5戦 アクロポリス・ラリー/ST165型セリカ GT-FOUR グループAラリーカー(写真:TOYOTA GAZOO Racing)
ちなみに、その時のエースドライバーは、現在F1フェラーリで活躍するカルロス・サインツJrの父、カルロス・サインツです。2024年初頭のダカールラリーでも健在ぶりを発揮していましたね。
僕も当時、このクルマを何度も走らせましたが、圧倒的な踏破性能には目を見張るものがありました。5ナンバーサイズではありましたが、軽量コンパクトスポーツというより、スペシャリティクーペのようなサイズ感であり豪華な内装も特徴的でしたね。
デビュー直後の試乗では、このマシンが激戦の世界ラリー選手権で勝利すると想像できませんでした。それほど重厚感のあるキャラクターだったのです。
洗練されたフォルムはデートカーとしても大人気
ボディはスマートなクーペスタイルです。リアには優しい形状のスポイラーが組み込まれていますが、モータースポーツを連想させるような派手さはありません。フェンダーがことさら激しく隆起しているわけでもありません。全体的にシュッとしたフォルムです。激烈な速さを想像させることはないのです。
ボディはスマートなクーペスタイル、リアには優しい形状のスポイラーが組み込まれているいる(写真提供:ミハラ自動車)
ボディはスマートなクーペスタイル、リアには優しい形状のスポイラーが組み込まれているいる(写真提供:ミハラ自動車)
そんな硬派なモータースポーツの世界でチャンピオンになりながらも、一方で、若者のハートを鷲掴みにしたことでも有名になりました。
当時の日本は空前のスキーブームに沸いていました。スキー場までの国道は驚くほどの渋滞の列が出来ました。ゲレンデのリフトも1時間待ちという列が出来ていました。そんなスキーブームの立役者が、映画「私をスキーに連れて行って」でした。
助演の女性二人が乗るセリカGT-FOURが、雪深い林道を颯爽と走ります。デートカーとしての人気も高まったのです。その姿に憧れた若者は少なかったでしょう。
高級感あるスペシャリティクーペでありながら、WRCで制覇するほどの圧倒的な走りの性能を備えていたセリカGT-FOUR(写真提供:ミハラ自動車)
高級感あるスペシャリティクーペでありながら、WRCで制覇するほどの圧倒的な走りの性能を備えていたセリカGT-FOUR(写真提供:ミハラ自動車)
映画ですから多少の脚色があったことは想像に難くありませんが、それでもスノーロードでの走行の性能の高さは確認できました。高級感あるスペシャリティクーペでありながら、WRCで制覇するほどの圧倒的な走りの性能を備えていた。まるでスポーツ万能のエリートのようなクルマです。
◾️トヨタ「セリカ2000GT-FOUR」
<エンジン>
形式:3S-GTE
種類:直列4気筒DOHC16バルブ・ターボ
総排気量(cc):1998
圧縮比:8.5
最高出力(ps/r.p.m):ネット185/6000
最大トルク(lg-m//r.p.m):24.5/5000
燃料供給装置:EFI(電子制御式燃料噴射装置)
燃料タンク容量(リットル):60
<寸法・定員>
全長(mm):4365
全幅(mm):1690
全高(mm):1295
ホイールベース(mm):2525
最低地上高(mm):160
乗車定員(名):5