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そんなもったいないこと、できるわけがない…街中で「走るフェラーリ」を見かけなくなった本当の理由

そんなもったいないこと、できるわけがない…街中で「走るフェラーリ」を見かけなくなった本当の理由

限定モデルの最新作「SF90 XX ストラダーレ」。価格は1億2000万円。

今年6月、フェラーリは限定モデル「SF90 XX ストラダーレ」と「SF9 0XX スパイダー」の2台を同時に発表した。モータージャーナリストの清水草一さんは「フェラーリの価値は走りやスペックよりも、資産性の高さだ。この車を公道で走らせる人はあまりいないだろう」という――。

走る不動産と呼ばれたF40の価格

6月下旬、イタリア・マラネロのフェラーリ本社にて、1億円超えの限定モデルが発表された。車名はSF90 XX ストラダーレおよびSF90 XX スパイダーである。

フェラーリの限定モデルと言えば、87年に発表されたフェラーリ創業40周年モデル、F40が大変有名だ。F40は、当時世界最速のロードカー。日本での正規販売価格は4500万円だったが、バブル景気を背景に取引価格は急騰し、90年には2億6000万円に達して「走る不動産」などと言われた。

当時のフェラーリ本社は、現在のようなしっかりした経営戦略がなかったため、殺到する注文に応え、当初400台程度の予定だったF40の生産台数を、最終的には1311台まで増やした。そのせいもあり、バブル崩壊とともにF40の取引価格は暴落。数年後には、定価を若干下回る4000万円前後に落ち着くという、波乱の経緯をたどることになった。

88年に創業者のエンツォ・フェラーリが亡くなり、91年に敏腕のルカ・モンテゼーモロ氏が社長に就任すると、フェラーリの経営体制は一気に現代化された。

「市場の需要より1台少なく作れ」

F40の後を継ぐ形で95年に発表された限定モデル・F50(日本正規販売価格5000万円)は、349台という当初の生産台数がしっかり守られた。この349台という数字は、「市場の需要より1台少なく作れ」というエンツォ・フェラーリの名言に従ったと言われている。

このF40とF50までは、一般的な知名度も高いが、その後のフェラーリの限定モデルの車名を記憶している方は、あまり多くはないだろう。かつてスーパーカーブームの頃は、スーパーカーを買えるわけがないチビッ子たちがスーパーカーに熱狂したが、21世紀に入ってからは、フェラーリの限定モデルに熱狂するのは、ほんの一部のクルマ好き富裕層だけになったからだ。

そうなった理由はふたつある。

第一に、クルマの速さが非現実的かつ無意味な領域に達し、憧れの対象ではなくなったこと。第二に、二極化が進んで、大衆と富裕層との分断が深まったからである。

富裕層が増え続け、フェラーリも増えている

02年に発表されたエンツォ・フェラーリは限定399台、日本正規販売価格7850万円だった。13年のラ・フェラーリは限定499台で、推定新車価格は約1億6000万円である。

一般大衆が無関心になっても、フェラーリの限定モデルの性能と価格は上昇を続け、需要の高まりに適度に応える形で、生産台数も徐々に拡大した。

今回のSF90XXストラダーレは、F40、F50のような「10年に一度の限定アニバーサリーモデル」ではなく、一般販売モデルのSF90 ストラダーレ(日本正規販売価格5340万円)をスペシャルに仕立てたもの。

つまり格はだいぶ落ちるのだが、価格は、SF90 XX ストラダーレが77万ユーロ(約1億2000万円)、SF90 XX スパイダーが85万ユーロ(約1億3400万円)と、ラ・フェラーリに迫っている。それでいて生産台数は、合計1398台とかなり多い。世界的なカネ余り現象により、富裕層が増え続けていることの表れだ。

SF90 XXに搭載されるプラグインハイブリッドシステムの最高出力は、1030馬力。ラ・フェラーリの963馬力を上回っているが、こういった数値には、勲章以外の意味は特にない。

「雨の日には乗ってはいけない」ほど危険だった

SF90XXは、公道も走れるレーシングカーであり、基本的にはサーキットでその性能を発揮すべく設計されている。ベースとなったSF90 ストラダーレとの最大の差異は、サーキットでのパフォーマンスを大幅に引き上げた点にある。巨大なリヤウイングもそのためのものだ。

しかし、実際にこのクルマでサーキットを走るオーナーは、ごく一部だろう。そんなことをすればクルマが傷んで、価値が下がってしまう。

まだ世界がスピードへの情熱で満たされていた20世紀、F40でサーキットを爆走することを夢見る者は少なくなかった。F40は「赤い狂獣」と呼ばれるほど手ごわいマシンで、ハンドルもブレーキもクラッチも信じられないほど重く、F1ドライバーですら「雨の日には乗ってはいけない」と語ったほど危険な操縦性を持っていた。つまり古き良き男のロマンだった。

しかし現在のフェラーリは、比較的簡単にその性能を発揮させることができる。パワステ・パワーウィンドウ・オートマなど、快適性の確保はもちろんのこと(F40にはすべて無し)、クルマが勝手に速く走ってくれるように作られている。

走るためではなく、所有するためのクルマに

私はSF90 XXのベースモデルであるSF90 ストラダーレ(1000馬力)で全開加速を試みた際、そのあっけなさに拍子抜けした。クルマの安定性が信じられないほど向上しているため、1000馬力のパワーでフル加速を試みても、レールの上を走っているようになんの危険も感じない。もちろんほんの一瞬で制限速度に達したが、そこには恐怖は微塵もなく、ロマンもなかった。

しかしオーナーには、フェラーリの限定モデルをガレージに並べることの栄誉と、今後価格がどこまで上昇するかという大きな楽しみが待っている。スーパーカーのベクトルが変わったのである。

SF90 XXは、発表前に全車完売していた。国産スポーツカーは、公平を期して抽選販売になることが多いが、フェラーリ・ワールドは究極の不平等社会。SF90 XXを手にすることができるのは、これまで何台ものフェラーリを購入してきた熱心な顧客に限られる。その中からフェラーリ側が買い手を選び、「○○様のために、1台枠を取ってあります。いいがですか」とオファーするのである。そんな魅力的な誘いを断る者はあまりいない。

富裕層が集中する東京都心部でも、SF90 XXを路上で見かける機会はまずなさそうだ。それはもはや走るためではなく、所有するためのクルマだから。乗りもしない高価なクルマを、富裕層はなぜ買うのか。それはたぶん、乗りかかった船だからである。

「ニューモデルが出れば買い替えないわけにいかない」

ある富裕層はこう語った。

「最初に買ったフェラーリ(F355)は楽しかったです。あれが一番楽しかった。でも、ニューモデルが出ると、買い替えないわけにはいかないんですよ。旧型に乗り続けていると、仲間に『どうしたの?』って思われちゃいますから」

どうしたのとはつまり、事業が行き詰まったのとか、体の具合が悪いの、ということだ。

「今のフェラーリは、ターボ化されたりプラグインハイブリッドになったりして、ものすごく速くなったけれど、乗っても面白くなくなりました。だから乗らなくなりました。でも、ニューモデルが出れば買い替えないわけにいかないし、限定モデルのオファーが来れば当然買います。世界中に欲しい人がいるので絶対損はしませんし、持っているだけで満足感がありますからね。頑張っている自分へのご褒美です」

そんなもったいないこと、できるわけがない

新しいフェラーリで街を走っても、ほぼ誰も振り向かない。東京には高級車が山ほど走っているし、一般大衆にとっては、フェラーリだろうがなんだろうが、自分とは無縁の「高そうなクルマ」にすぎないからだ。見せびらかすなら、価値がわかる仲間内に限られる。だから乗らないのである。

現在私は、80年代に生産された古いフェラーリ(328GTS)を持っているが、新型のフェラーリよりも、はるかに注目度は高い。

中高年層が目を輝かせるだけでなく、少年たちもなぜか振り返ってくれる。かつてのロマンの残り香を感じ取るのだろうか。価格はそれなりに高騰したが、まだ常識の範囲内(1000万円台)。惜しげもなく乗ることができる。

ちなみに、20世紀のロマン、フェラーリF40の現在の取引価格は、3億円から4億円。バブル期を大きく超えている。いまやF40を全開で走らせる者もまずいない。そんなもったいないこと、できるわけがない。

———- 清水 草一(しみず・そういち) モータージャーナリスト 1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。代表作『そのフェラーリください!』(三推社)をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか⁉』(三推社)などの著作で道路交通ジャーナリストとして活動している。 ———-

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