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ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

大谷 達也:自動車ライター

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE ARCADIA DROPTAIL

世界で一台だけのロールス・ロイス

 先ごろロールス・ロイスが発表した「アルカディア・ドロップテール」は、世界中で1台だけが作られるコーチビルディングの最新作である。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

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 コーチビルディングは、もともと馬車(coach)を誂える(building)ことを意味する言葉。馬車が富裕層にとって当たり前の交通手段だった時代、彼らは自分の好みにあわせた馬車を特注で作らせていた。これがコーチビルディングの発祥だが、一部の高級車がまだシャシーとボディを別々に製作していた1940年代までであれば、これに近いことを自動車でも行なうことができたし、実際に少なからず行なわれていた。

 これが自動車界におけるコーチビルディングである。

 しかし、戦後になって自動車の大量生産がさらに進み、シャシーとボディを一体で製作するモノコック構造が一般化すると、コーチビルディングの文化も次第に衰退していった。

 イギリスの超高級車ブランドであるロールス・ロイスが、コーチビルディングの文化を現代に甦らせたのは2017年にスウェプテールを発表したときのこと。これは、たった1台のためにボディをゼロからデザインして製作した希有な例として幅広く注目されることとなる。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE ‘SWEPTAIL’

 その4年後、今度は世界中で3台のみを製作するボートテールを発表。もっとも、ボディパネルは3台で共通でも、インテリアの仕様やボディカラーが大きく異なるため、同じボートテールでも見ための印象は似ても似つかないものになったとされる。

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ROLLS-ROYCE ‘BOAT TAIL’

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

リアにはピクニック用のカトラリーやパラソルが備わる

 そして最新のドロップテイルは合計4台が生み出される予定だが、こちらもそれぞれのデザインはまったくの別物。「同じボディから、よくもこれだけ異なる個性を打ち出せるモノ」と感心させられるほど、そのデザインは異なっている。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE LA ROSE NOIRE DROPTAIL

 ちなみに、コーチビルディングで作られる車両の価格は公表されないのが一般的だが、その価格はどんなに低く見積もっても1台10億円以上で、アルカディア・ドロップテールの場合は40億円との情報も一部で流れている。これほど高価な自動車を購入するのは、いったいどんな人々で、どういったプロセスを経て製作されるものなのか。アルカディア・ドロップテールが発表されたシンガポールで、ロールス・ロイス関係者に訊ねてみた。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE DROPTAIL DESIGN SKETCH

唯一無二のロールス・ロイスはこうして生まれる

 最初にインタビューに応えてくれたのは、ロールス・ロイスのコーチビルディング部門でデザインの責任者を務めるアレックス・イネスである。

「私たちは、2シーターのロードスターを作りたいという願望を以前から抱いていました(ロードスターは簡易なルーフを持つスポーツカーのこと。近年、ロールス・ロイスは2シーター・ロードスターを手がけていなかった)。そこで、そういうスケッチを何枚も描いてはスタジオの壁に貼っていたのですが、数名のクライアントがそのアイディアに興味を持っていると、当時のCEOが私に電話をしてきました。たしか2019年の終わりか2020年のことです」

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

 ロールス・ロイスの上得意ともなると、CEOと直接、話をしたり、ときには一緒に食事をしたり旅行に出かけることもあるという。こういったコミュニケーションを通じて顧客の動向や要望を理解しようとしているのだ。そういった会話のなかで、当時のCEOだったトルステン・ミュラー-エトヴェシュは「彼らは2シーター・ロードスターのコーチビルディングを求めている」との感触を掴み、それをイネスに伝えたのである。

「CEOは、こう言いました。『アレックス、君に会って、話をして欲しい人がいるんだ』」

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE AMETHYST DROPTAIL

 こうしてロールス・ロイスと顧客の対話が始まったというが、いきなりクルマのコンセプトを相談したり、商談をするわけではない。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE AMETHYST DROPTAIL DESIGN SKETCH

 たとえば、顧客の自宅を訪ねて様々な会話を交わすなかで、彼ら、彼女たちのデザイン、アート、建築などのほか、趣味や暮らしぶりなどをリサーチしていき、顧客が本当に欲しいと思うもの、所有したいと願っているクルマの姿を少しずつ構築していくのだという。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

 そこから徐々にスケッチを描いていき、必要に応じてモデルやサンプルを製作。その都度、顧客の満足度を確認していくなかで、慎重に1台のクルマを作り上げていくのかコーチビルディングのプロセスなのだ。

ロールス・ロイスが「たった1台のクルマ」を今も造り続けている理由

ROLLS-ROYCE DROPTAIL CLAY MODELLING

 これだけ慎重なステップを踏んで1台のクルマを製作するため、顧客との間でトラブルが起きることはありえない模様。それどころか、各プロセスで顧客は大いに感激し、完成したクルマは長年にわたって愛用してもらっているとの話を聞いた。なかには、完成したコーチビルディングのクルマで世界中を旅している顧客もいるとか。このようなビジネスが成功しているのも、ロールス・ロイスがコーチビルディングについて卓越した技術と提案力を有しているとともに、そもそも発注する顧客の側にロールス・ロイスへの深い愛情があるからだといえるだろう。

富裕層はどこにいるのか?

 いっぽうで、ロールスロイス側は富裕層に関する市場調査を念入りに行っているのも事実だ。

 たとえば今回のプレゼンテーションでも、東南アジアにおけるラグジュアリー市場は年間120億ユーロ(約2兆円)で、これは対前年比で70%の伸びであるとか、このうちのおよそ半分が中国市場で、純資産5000万ドル(約76億円)以上の超富裕層(UHNW=Ultra high-net-worth)の数は中国がアメリカに次いで2番目であるとの統計が紹介された。

 さらに興味深いのは、富裕層を専門に調査するリサーチ会社が存在することで、今回はアジリティ・リサーチ&ストラテジーの社員がプレゼンテーションに登場し、富裕層の概況について説明してくれた。

 それによると、世界全体のUHNWは合計243,062人で、各国の比率はアメリカ:51%、中国:14%、ドイツ:4%の順となっており、日本、イギリス、フランス、オーストラリア、インドはいずれも2%で並んでいるとのこと。ちなみに、純資産が100万ドル(約1億5000万円)から5000万ドルまでのHNW(High-net-worth)は世界全体で5660万人ほど。こちらもアメリカ(37%)、中国(11%)の順位は不動ながら、日本は5%でフランスと並ぶ3位につけている模様。そして日本のHNWの平均年齢は47.7歳で、55歳以上が34%、45〜54歳が25%、35〜44歳が31%、22〜34歳が11%であるとの統計も示された。

 いずれもため息が出るようなデータばかりだが、とりわけ年齢別の分布は、今後の市場や顧客の志向を予想するうえで、非常に有効なはず。そしてロールス・ロイスも、こうした市場に関する詳細なデータを有しているからこそ、1台40億円ともいわれる超高級車のビジネスを成立できるのだろう。

 いずれにせよ、私が働く自動車メディア業界でなどよく聞かれる「500万円のクルマが買えるのは裕福な50代以上だけ」なんていうステレオタイプなモノの見方は、早く捨てたほうがよさそうだ。

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